2008年12月5日金曜日

私は貝になりたい~福澤克雄監督、中居正広、仲間由紀恵主演

清水豊松は高知の漁港町で、理髪店を開業していた。家族は、女房の房江と一人息子の健一である。戦争が激しさを加え、赤紙が豊松にも来た。彼はヨサコイ節を歌って出発した。--ある日、撃墜されたB29の搭乗員が大北山山中にパラシュートで降下した。「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ」矢野軍司令官の命令が尾上大隊に伝達され、豊松の属する日高中隊が行動を開始した。発見された米兵は、一名が死亡、二名も虫の息だった。日高大尉は処分を足立小隊長に命令、さらに命令は木村軍曹の率いる立石上等兵に伝えられた。立石が選び出したのは豊松と滝田の二名だ。立木に縛られた米兵に向って、豊松は歯をくいしばりながら突進した。--戦争が終って、豊松は再び家族と一緒に平和な生活に戻った。が、それも束の間、大北山事件の戦犯として豊松は逮捕された。横浜軍事法廷の裁判では、命令書なしで口から口へ伝達される日本軍隊の命令方式が納得されなかった。豊松は、右の腕を突き刺したにすぎない自分は裁判を受けるのさえおかしいと抗議したが、絞首刑の判決を受けた。独房で、豊松は再審の嘆願書を夢中で書き続けた。矢野中将が、罪は司令官だった自分ひとりにある旨の嘆願書を出して処刑されてから一年の間、巣鴨プリズンでは誰も処刑されなかった。死刑囚たちは、やがて結ばれる講和条約によって釈放されるものと信じた。ある朝、豊松は突然チェンジブロックを言い渡された。減刑?いや、絞首刑執行の宣告だった。豊松は唇をかみしめながら、一歩一歩十三階段を昇った。--もう人間なんていやだ。こんなひどい目に会わされる人間なんて……深い深い海の底の貝だったら……戦争もない、兵隊もない。房江や健一のことを心配することもない。どうしても生れ変らねばならないのなら……私は貝になりたい--という遺書をのこして。